痛く切ない恋愛の10のお題
命のあるまま、捕らわれたのは不覚
それは畢竟、抗らいようのない運命だとしても
私を見返ることなど、ないと思っていた
駆け抜け得る未来を捨ててまで


「ほかに言うことはないのか」

耳に響く声に、はっきりと首を振ってやる。
僅かな動作にも、荒縄に戒められた身は痛みを訴えた。

「お前の才、ただ殺すには惜しいと思ったが」
「はっ!冗談を」

鼻先で嘲笑っても、かつての主は思い沈んだような表情を変えない。
ただ、傍らに立つ紺衣の若者が、ほんの僅か、その人形染みた顔を動かした。

「言うことはない。だが、訊きたいことはある」
「なんだ?」
「呂布殿は・・・如何されたか」

見上げた顔の中で、強い意志を示す眉がぴくりと上がった。

「・・・呂布か。稀代の豪傑も捕らわれれば哀れなものよ。自分を生かして使えば儂のためになるなどと、情けなくも命乞いをしおったわ」
「それで、呂布殿は?」
「お前のことなど、一言も口にせなんだぞ、陳宮」
「答えになっていない、曹操」

肩を押さえつけていた兵卒の手に、手荒い力が込められる。
歯を噛んで呻きを堪えると、紺衣の若者が緩く制止の手を上げた。
ようやく息を吐いて、目線を戻して。
唇の端だけで薄く笑ってやった。

「語るに落ちたな、曹操。呂布殿は、命乞いなどなさらぬ」
「ここにおいて、儂は嘘など言わぬ」
「ならば、その命乞い。自らのためではありますまい」
「では何だと?」
「己を生かして使えということは、張将軍や高将軍を生かそうとなさったのだ」
「・・・よくもそこまで思い込めるものだ」
「思い込みではない」
「ふ・・・儂の知る陳公台という男は、人の情を甘くみない男であったがな」

向けられた威圧感のある双眸を、眦を決して睨み返す。
何を言われようとも、思い込みではないという確信があった。
そうでなければ、何故に、下ヒの城から単騎討って出ようか。
私とは違う。
あの方にはまだ、駆け抜け得る未来があった。

「それで、曹操。呂布殿は、如何されたか」

同じ問いを繰り返す。
珍しく、曹操の顔に逡巡の色が過ぎった。
だが、

「呂布は斬首にした。あのような野獣は、我が殿には要らぬ」

情も熱も篭らぬぞんざいな応(いら)え。
声を発した紺衣の若者は、人形の面を崩さぬまま静かな目線だけを寄越した。

「そうか・・・」

一言だけ返して、感情を閉じ込める。
肘掛に置かれた曹操の節だった手が、幾度も拳を作っては解かれた。

「・・・ほかに言うことはないのか」
「何度同じ事を訊けば気が済む」
「なぜ、儂を詰らぬのだ」
「詰る?何故に?無駄な問答はもうやめてはどうだ。早く刑場へ連れて行け」
「何を言っても無駄か」
「くどい」

吐き捨てるように言い切って目を閉じる。
空気を伝って、曹操の笑う気配が感じられた。

「強情な。喩え儂が泣いて見せたとて、その気持ちは変わるまいな」
「心にもないことをあっさりと言う。そういうところが、嫌いなのだ」

瞼を開いて、真っ直ぐに台上の男を睨みつける。
意外なことに本当に泣き出しそうに見えた顔が、次の瞬間、覇者たる冷徹を象った。

「陳公台を斬首に処す」

重く乾いた声音。
かつて志を共にし、いつしか疎み続けた男が、待ち望んだ言葉を漸く口にした。


音はしなかった。
色も、失われたようだった。
刑場へ引き立てられながら、変わり果てた世界を眺める。
何時の間に先回りしていたのか。
歩む先に、先ほどの紺衣の姿が佇んでいた。

「呂布は最期に、陳宮だけは生かせと言った。己と違って、あいつにはまだ先があると」

すれ違いざま、独り言のように呟かれた言葉。
咄嗟に振り返ると、人形のような顔が微かに笑った。

「愚かしい。どうせ互いの心は決まっていたのだろうに」

相変わらず、熱も情も伺えぬ。
それでも、冷たくは見えぬその笑みにはっきりと笑み返して。


再び、真っ直ぐに前を見る。
頬に一筋、あたたかなものが伝った。


戦記1「孤狼の末路」シナリオ