痛く切ない恋愛の10のお題
どろりとした温い塊が、丸太のような腕を滑った。
血と泥が混じり合ったそれを、冷えた水で洗い流す。

「痛って!」

思わずといったように小さく零れた声。
常ならば気遣う言葉の一つや二つ、簡単に出てくるのだが。
手つきだけは丁寧なまま、黙りこくって手当てを続けた。

「出来ました」
「おう、ありがとな」

巻かれた包帯を見やって、夏侯淵はにっと笑う。
血止めを施したはずなのに、白い布にはすでに朱が滲んでいた。
痛くないはずがない。
二の腕に負った傷は深く、腱を傷めていても可笑しくない状態だった。

「お前が器用で助かる」

饒舌なはすの同僚が、黙したままなのが気になるのか。
人の良い笑顔を浮かべたまま、目の前の人は首を傾げた。

「張コウ、どした?」
「・・・私は医師ではありませんから。一刻も早く帰城なさって適正な手当てをお受けください」
「ああ、ちゃんと医者には見せるぞ。悪かったな、心配かけたな」

丸い目が、伏せていた視線を覗き込んでくる。
途端に、かっと頭に血が上った。
どうして、そんな言葉を口に出来るのか。
自分の不手際ではない、そんな深い傷を負っていて。
声に出しそうになった言葉を呑み込んで、かわりにぎゅっと拳を握った。

「・・・将軍の、弓が見られなくなるのは厭なのです」
「おいおい、物騒なことを言うなよ。分かってるよ、ちゃんと医者には見せるって!信用しろよ」

肉の厚い掌が、ぽんっと軽く肩に触れた。

「お前は優しいから、誰かが傷つくと自分も傷つくんだな。それなのに、手当てなんかさせて悪かった。これからもっと気をつける」

大真面目な顔でそう告げて。
ぽりぽりと頭を掻く人は、自分の優しさには気づくことがない。

「・・・私は優しくなどありません」
「うん。そうか。でも、やっぱり優しいよ」

そしてその優しさが、どれほど自分を喜ばせ、同じくらいに悲しませるかも。

「淵!怪我は大丈夫か!」

何の挨拶もなく、大音声と共に天幕の入り口が捲くられた。
諸肌を脱いでいた夏侯淵は、素早く戦袍を纏って傷を隠す。

「惇兄」
「腕は大丈夫か?」
「平気平気、全然大したことないって!」

殊更明るく言い放って、傷めた腕をぐるぐると回す。

「なっ?張コウにちゃんと手当てもして貰ったし、すぐにでもまた弓が射られるくらいだ」
「そう、か?」

真偽を問うような隻眼が、名指しされた張コウに向けられる。
それに極上の笑顔で頷き返すと、夏侯惇は強張っていた表情をようやく緩めた。

「淵。俺の見えぬ右、これからも頼むぞ」
「勿論だ、惇兄」

夏侯淵は嬉しそうに、本当に心から嬉しそうに笑って。
孟徳に会うからと出て行く従兄の、その気配が完全に消えるまで、立ち尽くしたまま見送った。
そっと手を伸ばして袍に触れる。
太い腕が、反射的にびくりと震えた。
捲り上げた袖から覗いた包帯は、完全な赤に染まっていて。
今尚流れ止まぬ血に、じわりとその濃さを増していた。

「将軍。もう一度、血止めをし直します」
「ああ、悪ぃ」
「無理に動かすなど、おやめください」
「うん、ごめんな」

痛みゆえか、額に薄っすらと汗を浮かべて。
何度目かになる謝罪を口にする人は、穏やかな目で静かに笑った。

「・・・ありがとな」

それは、手当てに対する礼なのか、それとも別のことなのか。
訊くことはせぬまま、微笑み返す。
指先で乾いた血と泥が、ポロリと剥がれて粉々に散った。


時として残酷な優しさに、私は何度でも傷つけられる。