戦場の花
「出陣する」

戦の高揚も焦燥もない、低く冷静な声音。
拱手していたホウ徳は、声の主が通り過ぎると真っ先にその後を追った。
珍しく緊張している。
すれ違いざま目が合うと、いつもは軽口を叩く唇に、なんともいえない微苦笑が過ぎった。
高武力の騎兵、だがその武力は主(あるじ)と同等。知力は及ぶべくもなく、勝っているのは『勇猛』と言う特技があることのみ。
ならば当然一騎打ちに出て然るべきであるのに、ここのところそれはずっと主の独壇場となっていた。
冷静沈着である主は、血気逸って刀を交えるわけではない。
しかし、相当の矜持と自負心を備えるが故に、刃向かう者や揶揄する者たちを己の手で処断することを好んだ。
一騎打ちは、戦場の花と言う。
だが、その危険性の高さは今更論(あげつら)うまでもなく、到底君主が進んで行うことではなかった。
主は諌める言葉に耳を貸さないわけではない。
だが結局、彼の烈火のような闘争心を鎮める術はどこにもなかった。
昨日(さくじつ)、主は趙雲との一騎打ちで勝ちを収めたものの利き腕に傷を負った。
見兼ねて、ついホウ徳に小言を言った。

『貴様が出ていれば良いものを。幾たびも殿を危険に晒すとはなにごとだ』

ホウ徳はいつものように軽口を叩きながら謝った。
言う方も言われる方も、心の何処かで仕方ないと言う諦めがあった。
だが、偶然か通りすがった郭嘉が、ホウ徳を一言「無能」と罵った。
神経質そうな白面を、波立たせることもなくきっぱりと。
相当な怒りが伝わった。
静かであればあるほど、その怒りは根深く恐ろしい。
自分同様、一騎打ちの出来ない軍師である郭嘉が、何も出来ない自身に苛立っていることは分かっていた。
まして、相手がかけがえのない者であるなら尚更に。

一騎打ちは、戦場の花と言う。

けれど。

「ホウ徳」

いったん通り過ぎた背を、小走りで追いかける。少し驚いたような顔をして、ホウ徳は振り向いた。

「今日こそ殿の前に出るか?」
「ええ、勿論。見ててくださいよ、文和さん」
「どうだかな」
「本気ですよ。これ以上軍祭酒殿に恨まれちゃたまりません」

ニッと笑う、青みがかった茶瞳。その目を見返して、思わず口元を歪めた。

「そんなに緊張していては勝つものも勝てんぞ、莫迦者が」

無性に苛立たしくなって、触れた指先を強く握る。豆鉄砲を喰らったような阿呆面が、不意に嬉しげに綻んだ。

「きっと、勝ちますから」

阿呆面のまま、騎乗する主を追いかける。その傍らから、真っ黒な双眸がじっとこちらを見つめていた。

一騎打ちは戦場の花、
などと。


武将なんて、 馬鹿ばかり。