天然軍師とへたれ将軍
寒風が吹いた。

短い襟足のむき出しになった首筋に、その冷たさはぞくりとくる。
だったら幕舎へ戻ればいいものを、どうにもそういう気分にはなれず。
ぶらぶらと歩き続ければ、遥か眼下に渭水を見渡せる場所まで来た。

大殿の気に入りの、軍祭酒と出陣するのは今日で数度目。
神経質そうに見えて、実際、普段は静謐なその人に。
戦場で怒鳴られることも、今日で数度目。

「ふう…」

思わず溜息が口をつく。
自慢ではないが、生来要領よく生きてきた自分は、怒鳴られるなんて経験は殆どない。
だが、軍祭酒の言っていることが、間違っていると言うわけでもなく。
そして。
戦場に出れば彼の人は、誰であろうとそういう態度をとるらしい。
大殿でさえ、叱責されたことがあると聞く。
荀令君は、あれは癖のようなものだから、気に病むなと言ってくれた。
実際、戦が終わってしまえば、自分を疎むような気配もない。
それでも。

誰かに怒られるということは、
ひどく、心に重くつく……

「士載?」

草を踏みしめる音と、静かな声。
振り向くと、そこに、たった今まで思っていた人。

「そんな恰好でこんなところで何をしている?」
「気分転換に散歩をしていただけです」
「そうか」
「そういう貴方は?」
「私もただ、少し散策を」

寒風が吹く。
首筋を撫でた微風に、思わず盛大なくしゃみが出た。
頭ひとつ低い位置から、闇色の眸が呆れたように瞬いて。
バツの悪さに気が滅入りかけていると、白面が微かな笑みを浮かべた。

「愚か者。そんな薄着で出歩いているからだ」

ふわりと。
首元にかけられた薄物の布。
まだ温もりの残る、彼が纏っていた朱色の肩掛け。

「私も寒いから上衣は貸してやれぬ。さぁ、さっさと帰るぞ。大事な大将が風邪をひいては話にならぬ」

冷たい指先が、促すように軽く腕に触れて。

「あ、りがとう…ございます」

踵を返した細い背を、一礼して追いかけた。


ああ、
とうとう、
戦場以外でも怒られた。

だが。
この人に”怒られる”と言うことは……


寒風が吹いた。

もう、
冷たさは感じなかった。