破調
 額に触れる冷たさに意識が覚醒する。
 瞼はまだ開くことを拒むように重たかったが、目覚めなければならぬと言う焦燥に駆られ、無理やりに両目をこじ開けた。
「良かった。お目覚めになられましたぞっ」
「はやく、張将軍にご連絡を!」
 傍らで安堵の吐息と歓声が聞こえる。ゆるりと視線を巡らすと、いつも傍に仕える護衛兵の顔が見て取れた。
 起き上がろうとして、肩に走った痛みに苦鳴が漏れる。慌てて手を伸ばした護衛兵が、諌めるように声をかけた。
「いけません、司馬懿様。やっと出血が止まったのです。動かれては傷が開いてしまいます」
 その言葉に、司馬懿はようやく己の置かれた状況を把握した。
 奇襲にあったのだ。
 兵力に勝り、特に注意すべき点もない今回の戦いは、何の問題もなく早々に片がつく予定だった。
 徐晃と張コウの両将軍を出陣させたのは、謂わば歴然たる力の差の誇示の為。惧れをなして降るなら良し、さもなくば完膚なきまで叩き潰すのみ。
 魏軍の誰もがそう思っていた。司馬懿とて例外ではなかった。
 心に隙がなかったといえば嘘になる。
 死に身の凡愚は、ときに万夫不当の英雄のごとき勇気を手にすることもあると、そういう事実を忘却したわけではなかったのだが。
 夜陰に乗じ、少数で斥候のごとく突っ込んできた敵兵は、脇目も振らず総大将である司馬懿だけを狙った。
 そのうちの一人の刀をかわし損ね、司馬懿は肩に傷を負ったのだ。
 思い出すにつれ、己の失態に目の前が暗くなる思いがする。眉間に深い皺を刻んだ秀麗な顔に、護衛兵は気遣わしげに問いかけた。
「傷が痛まれるのですか?」
「いや・・・。あやつらはどうなったのだ?」
「駆けつけた徐将軍と張将軍にすべて討ち取られました」
「そうか」
「申し訳ございませぬ。我らが力不足ゆえ司馬懿様に傷を負わせた責、如何様にもお受け致します」
「そのようなことはいい。それで、徐将軍と張将軍は今は?」
「それが・・・」
 最奥の幕舎から上がった大声に、司馬懿が気付いたとの報を受けそちらへ向かっていた張コウは目を瞬いた。
 何事かと足を速めるより先に、まろぶように飛び出してきた細身の体とぶつかってしまう。
「司馬懿殿!もう出歩かれてよろしいのですか?」
「良いわけありません!止めてください、張将軍っ!」
 護衛兵の悲鳴のような声に、張コウは司馬懿を抱き留めた腕に軽く力を込めて束縛した。
「離せ、張将軍!」
「離したら何処へ行かれるのですか、司馬懿殿?」
 落ち着きはらった張コウを、司馬懿は苛立ちをこめた目で睨みあげた。
「徐将軍は何処ぞ?!」
 鋭い叱責にも似た問いかけに、張コウは涼しげな目元を僅かに曇らせた。
「きっと、もうすぐ戻って参られます」
「っ!貴殿、なぜ止めなかったのだ?!」
「私に、止められるとお思いですか?」
 向けられた視線が絡み合う。一瞬、息を詰めた司馬懿は、血の気の失せた顔をより一層蒼白にした。
「私を傷つけたことで、敵の士気は上がっているだろう」
「だからこそ、叩いてしまうのです。私とて本陣を守る任がなければ、疾うに討って出ています」
「馬鹿めがっ!私はそのような命を下しておらぬ!」
「徐晃殿を命令違反に問われるのなら、私も同罪です。処断はお受け致しましょう」
「なにを勝手なっ」
「司馬懿殿、どうか落ち着いて下さい」
 張コウはそっと視線を周囲に流す。幾人かの兵士が遠巻きにして、諍う軍師と将軍を不安げに眺めていた。
「・・・・・・」
 回された腕を振り払って、司馬懿は踵を返す。
「現状で分かるだけの情報を集めるのだ!もう一度陣を吟味する!」
「は!」
 大声で指示を出しながら幕舎に戻る、その背が微かに震えているのに気付いて、張コウは痛ましげに唇を引き結んだ。
 
 夜半から降り出した雨は一向にやむ気配を見せず、天幕に叩きつける雨音はかえってその勢いを増すかのように激しくなる。
 ゆらゆらと、橙色に揺れる蝋燭の炎を見つめて、司馬懿は人形のように動けずにいた。
 己が気を失っていたのは、一刻に満たない時間だと聞いた。あれから、すでにまた一刻は過ぎている。
 事前の情報が間違いでないのなら、敵本陣までの距離は馬で駆けておよそ半刻。
 時間が、かかりすぎているように思えた。
 徐晃は、供回りの僅かな手勢だけを連れて討って出たのだと言う。総大将のみを狙うつもりなのだろう。恐れるに足りぬ相手とは言え、敵は司馬懿を襲ったような、地の利を生かした奇襲を企てていないとは限らなかった。
 徐晃なら大丈夫という思いと窮鼠猫を噛むの喩えが、頭の中で無益な鬩ぎ合いを繰り広げる。
 だが、どちらにしろ、この雨と怪我では加勢に出ることもままならなかった。
 雨音が耳について、司馬懿はわけもなく叫び出しそうになる衝動を必死に耐える。
 戦場に出ていれば、死など常に身近にあった。
 己が傷を負うことも死ぬことも、さして恐ろしいとも思わない。ただ、好んで死にたい訳でもないから、最善を尽くして生き延びているだけだ。
 死は常に、隣り合わせ。
 わかっている。
 それなのに、司馬懿は恐怖に心を縛られてしまっていた。
 もしも、徐晃が戻ってこなかったら?
 あの優しい笑みを、二度と見ることがなかったら・・・?
「司馬懿様?」
 唐突に立ち上がった司馬懿に、傍に控えていた護衛兵が訝しげな声をかけた。
「どうなされたのですか?」
 頑強だとは言えぬ体が、小刻みに震えている。色味を失い青褪め切った端麗な顔は、どこか鬼気迫るほどの異様さを醸し出していた。
 思わず、護衛兵は息を呑む。それでも、失血の多い主の身体を慮って床几に戻るよう進言した。
 しかし、司馬懿はその声が聞こえぬかのように、ただ立ち尽くしたままじっと一点を睨みつけ続けた。
 炎が大きく揺らぎ、影がいびつに歪む。
 どれほどの時が流れたのか。
 一層雨音が高くなったと同時に、遠く、微かに馬の嘶く声が聞こえた。
 一気に、幕舎の周りが騒がしくなる。
 護衛兵は咄嗟に司馬懿のほうを見たが、人形のような軍師は微動だにせず幕舎の入り口を見つめ続けていた。
「徐将軍が戻られましたっ!」
 叫ぶような声と雷鳴が轟く。幕舎の入り口が捲り上げられ、たちまち雨の匂いと濃い血臭があたりに押し寄せた。
 黒い闇の中に、大きな影が立っている。
 空を走った稲光が、それが徐晃であることをわからせた。
 青い光に浮かび上がったその姿は、血と泥と雨に塗れ、清廉な白い装束は元の色を片鱗も残してはいない。その顔も同じく血に塗れ、両脇に垂らした手からもどす黒い液体が流れ落ちていた。
 幕舎には足を踏み入れず、徐晃はそこからそのまま右手を差し出した。
 周囲から感嘆と畏怖のどよめきが起こる。
 その手には、鮮やかな切り口で落とされた首級が4つ、長い髪を曳き掴まれて恨めしそうに揺れていた。
「敵将すべて、討ち取ったでござる」
 修羅そのもののような男の口から、ようやく声が発せられる。
 司馬懿は薄い唇を奇妙に歪めると、一言、「ご苦労」とだけ返して、そのまま床に屑折れた。

 天候が回復するのをまって、魏軍は許昌へ帰還した。
 終わりよければすべて良しでしょうと、張コウは此度の仔細を上へ報告せぬよう薦め、司馬懿もあっさりとそれに同意した。
 司馬懿から報告を受けた曹操は、ひとりで敵将すべてを討ち取った徐晃の武をことのほか喜び、盛大な祝いの宴を用意させた。その宴は魏軍の殆どの武将たちを集め、賑やかに夜遅くまで繰り広げられた。
 しかし、主賓であるはずの徐晃は浮かぬ顔をしたまま、次々に注がれる杯だけを黙々と飲み干していた。宴席には、傷の養生の為、奏上の後早々に城を辞した司馬懿の姿はない。
 優れぬ顔色のまま、それでも毅然と奏上していた司馬懿を思い出して、徐晃は重い息を吐いた。
 帰参の間中、司馬懿は殆ど誰とも口をきかず、常には使わぬ馬車の中に篭り切りだった。傷は深くはないが失血が多く、安静が必要だと医術の心得のある兵士が言っていたし、徐晃とて休養を取るのは良いことだと思っていた。
 しかし、己の規律違反の責を問う為目通りした際、司馬懿は目を合わせもせず「問わぬ」とだけ告げて追い払うように臥床に伏せてしまったのだ。「馬鹿目が」と盛大に罵られ懲罰の一つや二つ食らうものと覚悟をしていた徐晃は、解せぬ心持ちでその場を辞した。
 そして、結局あれからまともに司馬懿と会話を交わす機会もない。明らかに避けられているのだと、徐晃は気がついた。
 再び、重い溜息が漏れる。
 それを聞き咎めたのか、傍らで謳うような声が聞こえた。
「司馬懿殿のことでお悩みですか?」
「張コウ殿」
 視線を向けた先に雅な蝶柄の軍服を纏った同僚を見とめ、徐晃は苦い笑いを零した。
「お分かりでござるか」
「わかりますとも」
「拙者が独断に走ったこと、司馬懿殿は心底お怒りのご様子。このままでは、二度と戦の同行をお許しにならぬやもしれぬ・・・」
「でも、徐晃殿はそれを分かっていて討って出られたのでしょう?」
「・・・討って出ずにはいられなかったのでござる」
 固い声でそう言って僅かに俯く徐晃に、張コウは場違いなほど華やかな笑みを浮かべた。
「暗い顔をなさらないで下さい。気になるのなら確かめれば良いのです。きっと大丈夫ですよ」
 張コウの手が背中を押すのに、徐晃は驚いて身を捩った。
「張コウ殿?」
「思いたったら吉日です」
「しかし、宴が・・・」
「失礼ですけど、もう誰も主賓が誰かなんて、覚えていませんって」
 ころころと笑う張コウに促されてよくよく周囲を見てみれば、確かにそこには酔漢たちの屍がごろごろと転がっていた。曹操の姿でさえ、いつの間にか見えなくなっている。
「いつのまに・・・」
「お酒に強いのも結構ですが、周囲を観察なさるともっとよろしいですよ」
「かたじけない」
 手を振る張コウに、徐晃は小さく頭を下げる。さっと腰を上げると、しっかりとした足取りで宴席を後にした。
 城門を出、見上げた空には煌々とした満月がかかっていた。
 元々酔いの回らぬ頭は、心地好い夜風に晒されてますます明確になっていく。
 人の家を訪うには遅い時刻だと分かっているが、今すぐに司馬懿に会わなくてはならない気がしていた。断られれば引き下がるしかないが、それでも僅かな期待を捨てきれずに歩いた。
 しかし、緊張を孕んだ徐晃の決意とは裏腹に、司馬懿はあっさりと門を開き夜中の訪問者を招き入れた。
 客間ではなく私室に通された徐晃は、牀榻に腰掛けて出迎えた部屋の主に些か当惑した。
 司馬懿らしくもないその畏まらない態度は、気の置けぬ知人を歓迎するようにも、また非難しているようにもとれた。
「お休み中のところ、失礼仕る」
 内心の葛藤を押さえ込んで拱手すると、簡素な平服を纏った司馬懿は一瞥して頬に薄い笑みを浮かべた。
「このような時刻に訪れておいて、何を分かりきったことを申されるか」
 久しぶりに聞く皮肉げな口調が酷く懐かしく思えて、徐晃は目元を僅かに和げた。
「それで。この夜半に如何な急用か、徐将軍」
「司馬懿殿の、お気持ちを伺いに参った」
「私の気持ち?」
 単刀直入な返答に、切れ上った双眸が訝しげに眇められる。
「拙者を処断されなかったのは、何故でござるか」
「その話か。それはもう済んだことだ。なかったことにすると、張将軍とも合意している」
「では、司馬懿殿。これからも、拙者は貴方の傍で、貴方をお守りすることが出来るのでござるな?」
 真剣な瞳で問い詰められて、司馬懿は一瞬言葉に詰まったように唇を震わせた。
 やがて、元々色の薄い肌が透けるほどに青褪めたかと思うと、鋭い叱責の声が飛んだ。
「ふざけるなっ!」
 叫ぶと同時に、牀榻から立ち上がる。
「守ると言っておきながら傍を離れたのは誰だ?!了承も得ず、勝手に私の傍を離れたのは、何処の馬鹿だっ?!」
 恐ろしいほどの剣幕で詰め寄られて、徐晃は僅かに後退さる。
「勝手な真似をしおって!もしもどこかに伏兵がいたら、どうするつもりだったのだ?!」
「申し訳ござらぬ、司馬懿殿。それでも、拙者は討って出ねばならなかったのです」
 睨み上げてくる目を見返して、徐晃は静かに告げた。
「貴方が血に塗れ、大地に倒れ伏したのを見て、拙者は恐怖のあまり己を見失ったのでござる」
「・・・恐怖?」
「そうでござる。貴方を失ったかも知れぬという恐怖。戦場に出て初めて、心の底から怖いと思った。そして、敵と貴方を守れなかった己に、度し難い怒りが湧いた」
「・・・・・・」
「胸が張り裂けそうに苦しかった。敵将すべて八つ裂きにしても飽き足らぬほどに・・・。しかし、すべては拙者の不徳の致すところ。やはりお怒りなのであれば、如何様な咎もお受け致そう」
 静かに目を閉じる偉丈夫に、司馬懿は怒りの滲む視線を向ける。
「歯を食いしばられよ」
 そして、言うが早いか、渾身の力を込めてその頬を殴りつけた。
 鈍い音が響いた。
 徐晃はふらつくことさえなかったが、その唇の端は僅かに切れ薄く血が滲んだ。
 その血を拭うように、冷たい指先が触れる。予期せぬ感覚に徐晃は瞼を上げた。
 目の前に、今にも零れ落ちそうなほどに瞳を潤ませた怜悧な顔があった。
 美しい方だと、徐晃は不意に場違いな感慨を抱いた。
「怖いと言われたな?私を失ったやも知れぬと、恐ろしかったと」
「はい」
「では、なぜ思い至ることが出来なかったのだ!残された私が、同じ苦しみを味わうであろうことを。貴殿を失うやもしれぬ、底知れぬ恐怖に苛まれることをっ」
「司馬懿殿、しかし、それは・・・」
「ずっと傍で守ると言ったではないか!貴殿がそんなことさえ言わなければ、私は・・・私は、これほどまでに弱くなることはなかったのに・・・」
 語尾が掠れ、瞬いた拍子に涙が一滴、色のない頬に零れ落ちた。
 徐晃は思わず腕を伸ばし、薄い身体をかき抱く。
 突然の行動に、しかし司馬懿は抗らうこともなく、きつく目を閉じると額を徐晃の肩に押し当てた。
「司馬懿殿。それでも、拙者は貴方をお守り致す。この命尽きるまで、ずっとお守り致す」
「痴れ事を・・・」
「どう思われても構わぬでござる。決意は変わりませぬ。拙者は、改めて己の気持ちを理解致した」
「気持ち?」
「そう・・・。誰よりも貴方を、お慕い申し上げる」
 耳元での告白に、司馬懿の体が僅かに強張る。それに気付いて、徐晃は回した腕の力を緩めた。
 力で競えば、司馬懿は徐晃に敵うべくもない。
 誰よりも愛しいと悟った人に、無駄な恐怖を与えたくはなかった。
 しかし、司馬懿は腕の中から逃れようとはせず、おもむろに顔を上げると両腕を徐晃の首に回した。
 緩く引き寄せられたと同時に、唇に柔らかなぬくもりが触れる。
 目を見開く徐晃に、司馬懿は見たこともないような嫣然とした笑みを浮かべた。
「その言葉に、偽りはないな?」
「勿論でござる」
「ならば、貴方は私のものだ」
 囁いて、再び唇が寄せられる。微かに触れるぬくもりを今度は逃がさぬよう、徐晃は小さな頭を掌に捉えた。
 深く、深く口付ける。
 歯列を割り口内を弄る舌先を、司馬懿はひくことなく深く迎え入れた。
 接吻をしたのは勿論初めてではない。しかし、初めて経験する脳が痺れるような甘い口付けに、徐晃は知らず知らず抱く腕に力を込めていた。
「・・・痛っ・・・!」
 唇の離れた僅かな隙に、司馬懿の口から小さな苦鳴が漏れる。肩を庇うようなその仕草に、徐晃は慌てて身体を離した。
「すまぬでござる!怪我に障られたか?!」
「ふん・・・怪我などしてなくとも、その馬鹿力で抱き締められれば苦しかろう」
「す、すまぬ・・・」
 濡れた赤い唇をそのままに目を眇めて見せる司馬懿の姿は、どんな美女よりも婀娜に映った。
 己の頬が熱くなるのを感じ、徐晃は拳を握り締める。このままこの場にいたら、怪我人に無体なことをしてしまいそうだった。
 しかし、そんな心中を見透かすように、司馬懿は手を伸ばすと徐晃の目を真っ直ぐに見つめた。
「怪我などもう大事ないのだ。徐晃殿、私の手を取らぬのか?」
「司馬懿殿・・・」
「私が、いらぬと申されるのか?」
挑発的な言葉とは裏腹に、伸ばされた繊細な指先は微かに震えている。
 その指先を恭しく握り返すと、徐晃は静かな笑みを浮かべた。
「手加減できぬやもしれませぬ。後悔なされるな」
「そのようなもの、せぬ」
 短く言い切って、切れ長い目が伏せられた。その身体を抱き上げて、牀榻へのせる。
 さすがに驚いたように司馬懿は眼を見開いたが、やはりろくな抵抗はしなかった。
 徐晃は、腕の中の身体の予想以上の軽さに僅かな不安を覚える。
 それでも、組み敷いた人の、巾が解け艶やかな長い黒髪が広がるさまに小さく息をついた。
 内も外も、これほどに美しい人であったのだと。
 幾度目になるか知れぬ感嘆を、合わせた唇のうちに呑み込んだ。



 翌日。
 司馬懿は出仕しなかった。
「司馬懿殿は、お怪我の具合が思わしくないようですね」
 朝議の後、側に寄って来た張コウに心配そうに話しかけられ、徐晃は思わず足を止めた。
「いや・・・その・・・」
 返事をしかけて、言い淀むように目を泳がせる。
 常にはっきりとものを言う男には珍しいその反応に、張コウは長い睫を瞬いた。
「昨夜、お会いしたが、怪我の方はもう大事ないようでござった」
「・・・休まれたのは、怪我の療養だと聞いたのですが?」
「療養は・・・療養に違いないでござるが・・・」
 きつく問い詰めたわけでもないのに、顔を真っ赤にしながら律儀に返答する徐晃に、張コウはくすりと笑い声を立てる。
「なんだ。良かったじゃないですか、徐晃殿。その頬の腫れは、戦勲だったのですね」
「ち、張コウ殿・・・」
「また共に司馬懿殿の下で美しく戦えること、楽しみにしていますよ」
 手を振ってひらりと身を翻す。
 華やかなその笑顔に、徐晃は顔を赤く染めたままこれ以上ないほどの幸せそうな笑みで返した。