melting pot
賑やかだなと、目の前の光景を眺めて司馬懿は思った。
対遠呂智の旗の下に集った倭の国の将たちが、それぞれの得物をもって鍛錬している。
中には、なにやら相当有名な大将もいるらしい。その輩は、氏素性は分からなくとも、その身に纏うオーラが際立っているため判別がついた。
倭国の者たちの氏素性は分からない。
なのに、彼らはこちらの氏素性から、恐ろしいことにその末路まで知っている。
本来なら1000年以上後の世界に生きる人間たち。1000年の後(のち)も、己の名が残っていることを喜ぶべきなのかもしれないが、やはりあまり気分は良くなかった。
見透かされている、という感触は不愉快だ。
遠呂智のせいで世界が混沌となった今、彼らの知る「司馬仲達」の伝記は最早架空物語となったはずだが、それでも彼らは覚えている。司馬仲達が、曹魏を裏切ると言う歴史。
誰かが語るでもなく語った話は、あっという間に世に広がった。主だった三国の将の行く末は、大概の倭国の者たちは知っている。ただ、現在のこの世界では、それはすでに意味を失った「過去」であるため、三国の者の中には己の最期を知って笑い飛ばす剛毅な輩もいたりした。
それはそれで、構わないとは思う。むしろ、そうあるべきなのだろうとも思う。この心理的混沌も、深みに嵌れば嵌るほど、遠呂智の好奇を満たすだけに違いないのだ。
だが、頭では分かっていても、やはり司馬懿は落ち着かなかった。結局、曹丕の元に戻るのも気が引け、見知った者たちからは完全に逸れ、気がつけば遠呂智勢力の側にいた。
しかし、伊達や前田という武将たちのように、遠呂智の描く世界に惹かれたわけでもないため、その場の居心地もしっくりこない。己の進退に悩んでいたところで、島左近という男の描いた戦にあった。
悪くない采配ぶりだと思った。そのうえ、逸れたまま行方知れずだった徐晃の姿をその陣に見出した。そして、武田という武将の言に乗ってこの勢力についた司馬懿は、出来るだけ嫌なことは忘れようと努めた。
此処は混沌の世。史実など何の意味もない。ただ、「生きている」という、その事実がすべて。
今までも独り繰り返していた呪文だが、久方ぶりに会った徐晃から同じような言葉を聞いたとき、司馬懿は漸く胸の痞えが取れた気がした。
『越し方も行く末も、今はもう泡沫(うたかた)でござる。ただ貴方がお元気であることが、なにより大事なのでござるよ』
期せず胸に広がった安堵に、つい眸が潤みかけてひどく困った。徐晃に会えて良かったと、言葉にはしなかったが心底そう思って、運命のめぐり合わせに感謝さえした。
その徐晃は、現在、倭国の武将たちに混じって鍛錬をしている。相手をしているのは宮本武蔵という男だ。どことなく徐晃に似た雰囲気があるのは、己の武を磨くことにひたすら精進しているせいだろう。単純で気が良く、扱い易い男だった。
そして、その付近で変わった形状の大剣を翳している男を見て、司馬懿は眉を顰めた。
島左近。
この勢力の軍師。扱い易い、などと言う言葉からは正反対の男。
性格が悪いとか、態度が良くないというわけではない。寧ろ、愛想は良く人好きもしているようだ。ただあまりにも飄々としていて、その真意がどこにあるのかまったく掴めない。心を謀り、策略を練るために生まれてきたような男だと司馬懿は感じていた。
しかし、この勢力についた今、司馬懿とて軍師としての腕を披露せねばならない。それにはまず、どう考えても島が邪魔だった。だが、武田や上杉の信頼厚い島に代わって、余所者の己がそう簡単にその地位を脅かせるとも思えない。
まるで曹魏に仕官したての頃のようだなと、幾分懐かしい感慨に浸って司馬懿は薄く笑った。悪くない競い手を見出して、矜持の高い心は逸った。
さて、と思案顔で島を見つめる。と、誰かと談笑していた島は、司馬懿のほうを振り向いて軽く首を傾げた。慌てて内心を読まれないよう、口元を黒羽扇で隠して仏頂面をつくる。すると、島はなぜかそのまま司馬懿の元へ近寄ってきた。

「やあ、司馬さん。お加減はどうですかね?」
「なに?」
「顔色が良くないようですよ。今にも倒れそうな蒼さだ。まだ戦の疲れが引きませんか」
「そのようなことはない。蒼白いのは素だ。気にされずとも結構」
「そうですか?まぁ、それならいいですけどね。あんたの軍略には期待してるんですよ。あの司馬仲達と同じ軍で戦えるなんて夢のようですからね」
「世辞は結構」
「おっと。こう見えても、俺は世辞は言いませんぜ。無駄なことはしたくないんで」

飄々と笑う精悍な顔を見上げて、司馬懿はふと思い出したままを口にした。

「綺麗な顔、というのは世辞ではないのか」
「は?」
「石田は元々おまえの主と聞いた。主には世辞も良しか、それとも軽口か」
「ああ、殿への賞賛台詞のことですか。いや、だって世辞じゃないでしょう?」
「では軽口か」

羽扇の陰で眉を顰める司馬懿に、島は少し呆れたような表情を浮かべた。だが、すぐにその色を消して、まじまじと古代の名軍師を見つめた。

「うーん…、司馬さん、目が悪いですか?」
「あまり良くはないがそれがどうした」
「いや、まぁ、」

ちょっと口を噤んで、島は面白そうに目を細めた。

「世辞でも軽口でもないですよ。本心なんで。じゃなきゃ、殿に殺されそうだ」
「何故?」
「…司馬さん、鈍いって言われたことあるでしょう?」
「左近!ちょっと手伝え!」
「おっと、噂をすればだ。じゃ、失礼しますよ」

ひらひらと手を振る島の向こうで、鉄扇を開閉している石田が刺々しい視線を向けてくる。それに気づいた司馬懿は黒羽扇の陰で盛大に口元を歪めたが、うっかり聞き流した島の言葉が脳内に蘇ってそれどころではなくなった。

「…鈍い、だと?なんだそれは?私の頭脳が鈍いわけなかろう。それともなにか。運動神経のことを言っているのか…?」

残念ながら運動神経が人より鈍い自覚がある司馬懿は、ぴくりと額に青筋を浮かべた。もう島へ届きはしないが、思わず羽扇を振り上げる。その腕を、不意にやんわりと掴まれた。

「司馬懿殿?何をなさっておいでか?」
「徐晃殿」
「このような場所で羽扇を振り上げられては危のうござる」
「なんだ、徐晃殿!貴殿も私を鈍いと思っているのか!」
「はぁ?」

うっかり言い返せなかったことに癇癪を起こした司馬懿に、徐晃はワケが分からず目を丸くした。だが、こちらを振り返った倭国の軍師が面白そうに目を細めているのに、なんとなく事情を察してこっそり溜息をついた。

「何のことかは分からぬが、大丈夫でござる。司馬懿殿は我らの誇る軍師殿。拙者は次の戦、司馬懿殿の軍略の元で戦えるのを楽しみにしてござるよ」

にっこりと、屈託なく笑いかけられて司馬懿は眉間の皺を解いた。

「我らの策と武、倭国の方々に篤とご覧じていただこう」
「無論だ。島左近、この司馬仲達の敵ではないわ!」

島殿は敵ではないのでござるが、と。
高笑いする司馬懿の隣で、さすがに突っ込みは入れずに徐晃は微笑む。白い面(おもて)に浮かんだ久しぶりの精気に、それだけでもむしろ、島に感謝しても良いと思った。


不可思議な世界の不可思議な連合。真骨頂はまだまだこれから。